メモ書き

舞台沼に落ちた人の備忘録

2019/11/01 大好きだったハイステは死んだ

※これは一個人の感想であり、意見を共有したいまたは押し付けたいわけでもなく、また他人から意見を聞きたいわけでもありません。ただ吐き出したいだけの記事です。

 2017年の終わり、誰が持ち込んだかわからない早売りのジャンプが無造作に置かれていた。
私はそこで烏野キャスト(以下旧キャスト)が全員卒業することを知り泣いた。
「いつかは今のキャストが卒業する日がくる」
ずっとわかっていたことだが、実際に突きつけられると受け止めきれなかった。

2018年は悔いがないように狂ったようにハイステに通った。最強の場所はそれまで以上に見に行った。最強の場所は幕毎に泣いた。思うところはそれなりにあったが、総合的には良い公演だった。
旧キャストが卒業して2019年の東京の陣も東京公演だけではあるが通い詰めた。須賀健太がいなくてもハイステだった。永田崇人には感謝しかない。

東京の陣が終わって新たな烏野キャスト(以下新キャスト)が発表された。
ほぼ誰?状態。知らない俳優さんはまだまだたくさんいるのだからこれは仕方ないと思っていたが、知らないということはどんな演技をするのか全く未知であり、この未知が不安だった。何人か、友人が行く舞台に出演していたのでどうだったか聞いてみたが、無難な返答しかなかった。無難ということは、印象に残るような演技をしていない可能性もあるということ。
7月になり、天気の子が公開された。舞台に行かない友人たちが見に行ったから主役の演技はどうだったか聞いてみた。
「悪くはなかった」
友人たちは示し合わせたかのようにこう言った。
つまり褒めるところもなければ別段気になるところもなかったということ。そんな演技だったということが不安になった。

そして11/1の東京公演初日、不安が現実になってしまった。

お遊戯でも見せられているかのような薄っぺらい演技、以前以上のキャラ解釈の剥離、なぜか変更された時間軸。
良いと思えるところより悪いと思うところの方が多く、印象に残るような部分もない。(具体的に上げるとキリがないのでここでは割愛する)
公演を楽しむことができなかった。

旧キャストの時からバレーボールになぞらえて「繋ぐ」と言っていた。
新キャストも「繋ぐ」と言っていた。しかし旧キャストから何を繋いだんだ?

理解ができなかった。
私は舞台をそれなりに見に行くが、表現者でもないただの客なので演技や演出についてはド素人だ。見せられたものを自分の中でかみ砕いて感じることしかできない。
だが、素人なりに旧キャストが作ってきたものを、なんでもいいから新キャストの演技で少しでも客に感じ取らせる、それが新キャストが言っている「繋ぐ」という意味だと思っていた。言葉にしなくても表情や動きでこのキャラはどう思っているのか、試合を通じてどうキャラが成長してきたかといった今までを「繋ぐ」んだと思っていたし期待していた。
だが実際の公演では私には微塵も感じられなかった。

その上座長が「反省点や改善したい点がある」とカテコで言い茫然とした。
私が見せられたのは本番だと思っていたが、稽古だったのか?

そんな話を聞いて拍手をする気にもなれなかったが一応した。

これは私が知っているハイステではない。
悔しくて、悲しくて、途中何度も泣いた。東京公演が終わってからもずっとモヤモヤしていた。

私はテニミュは通っていない。
代替えはこういうものだと言われたらそうなのかもしれない。
それでも私はショックだった。

楽しめないと感じたのであれば、私の中で大好きだったハイステは死んだのだ。

ハイステは私に縁がなかった舞台の世界を身近にしてくれた。それまで舞台なんてお高い趣味と思って数年に1度本推しが出る時くらいしか見に行ってなかったけど、気軽に舞台に行くようになった。今では年間で数えたくない位の公演数を見に行くようになり、良い舞台もそうでない舞台も見てきた。
舞台の楽しさを教えてくれたハイステには本当に本当に感謝している。

だからこそハイステに対してこんな感想を持ってしまうことが悲しいし、悔しい。

ハイステに対して楽しいと思えないことがあまりにショックで、今では新キャストを見ることが苦痛になってしまったので、しばらく通わないことにした。
それでもハイキューという作品は好きだし、私が大好きだったハイステがあったことも事実なので続く限りは頑張って欲しいとも思う。
いつか、これが笑い話にできてまたハイステを楽しいと思う日がくるといいな。